「学生時代」
「かいじ」という高3の練習生が今年4月から私の母校「国際武道大学」に入学する。当然空手道部に在籍し、あの黒潮と朝市で有名な勝浦市(ということはプレイエリアなんて何もありません)で4年間苦楽を味わう。今日の一般クラスの稽古中に彼の今ひとつキレの冴えない空手を見ながら学生時代を懐かしく想い起こした。
学生時代にやったこと・・・・空手 カラテ KARATE の毎日 しかし、Afterは意外と時間(自宅学習してなかったもので)が自由に使え、入学当初は親元を離れた開放感で夜遅くまで寮仲間と楽しく過ごしておりました。しかし、人間遊ぶ時間が多いと遊ぶことにも飽きてしまうようで、よし!アルバイトやろう・・と。
「としまや弁当(キムタクが数年前にお忍びでサーフィンに来た際に好んで食べた弁当屋)」「ゴルフボール拾い」「ペンション」「海の家」「ビリヤード場」・・・私が4年間行ってきたアルバイトであります。中でも弁当屋は一人暮らしの寮生活で必要不可欠な食料の調達にはもってこいの仕事で、夜の店長(お金の〆まですべて担当)と呼ばれていた私には、残り物のおかずで翌朝の朝食分まで調理して持ち帰るのは特権でありました。ですから通年、この弁当のアルバイトは継続し空いた時間を利用して他のアルバイトを入れるという生活を続けておりました。
なんか バイトばかりで空手は大丈夫?と思われそうですが、それはノンプロブレム!しっかり気合いれてやっておりました。当時の監督は日体大の元主将で卒業後、東京大学の大学院に入学 同校卒業という相当気合の入った先生で、空手ナショナルチームのフィジカルコーチもされており、日の丸入りの先生でした。この先生 「金久先生」 裏では我々「金ちゃん」と呼んでおりましたが・・・目の前にするとふざけたことなど何一つ言えないオーラを放っており、素晴らしい先生でした。今は、東京大学の教養学部で教授です。本物な方です。ということで手の抜くことなど出来るはずもなく修行しておりました。
アルバイトの話に戻ります・・・本当にお金には不自由しませんでした。月に5~6万は稼いでおりましたし、遊ぶ暇も無くなっておりましたので自然とお金が貯まっていくんです。気がつけば4年間に2台の車(中古ですよ)を乗り継いでおりました。この頃から車好きが始まっております。
書いてるうちに色んなことが思い出され何から書いてよいか迷ってしまいましたので、今日はこのさわりの部分で終わらせていただきたいと思います。じゃないと今日もまた夕食が23時まわってしまいます。あ~っもう22:53だぁ~
今日の一般部ではクーシャンクー&ジオンを重点的に稽古いたしました。組手好きの かずき にはつまらなかったでようかね?
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